このWEBサイトはJavaScriptを有効にしないと正しく表示されません。ご了承ください。

Episode 1 はじまりは情熱と挑戦

むかしむかし、大分県玖珠町で「コクエイ」という会社が誕生した。創業から害虫・害獣と戦い続け、2025年4月に50周年を迎える。その歴史を3回に分けて紐解いていく。今だから言える話、こぼれ話も。この国の衛生環境を守るためのコクエイ奮闘記、さぁ、はじまりはじまり。

玖珠の町で生まれ育った現会長の長野晴雄。高校卒業後は、自動車整備関連の企業に入社。自動車整備部門で3年、セールスマンとして1年務めた頃、オイルショックとともにガソリン価格が高騰。車が売れない時代に突入した。もともと車好きが高じて自動車業界に飛び込んだものの、「好きだけじゃどうにもならない」と齢25にして痛感。早々に自動車業界に見切りをつける。

当時は、排気ガスや粉塵といった公害問題が取り沙汰されており、「たくさんの人に快適な暮らしを届けることがビジネスにつながるのではないか?」と思い描いていた晴雄。そんな矢先、佐賀県で害虫駆除事業を展開する会社と出会い、害虫・害獣駆除業界へと舵を切ることになった。すぐに仲間数人と起業しようとしたものの、その無謀なチャレンジに父親は大反対。しかし、情熱の炎は消えることなく、駆除や薬品について本格的に勉強を始めた。大分市の医薬品販売会社で実績を積み、昭和50年(1975年)4月15日、たった一人で「コクエイ」を立ち上げた。

起業後、まずは駆除のための備品を手に入れるところからスタート。自身の生命保険を解約した資金で薬液や噴霧器を調達した。全てはギリギリのチャレンジだった。

創業当時、圧倒的に多かったのが飲食店からのネズミ駆除の依頼。夜の営業終了後から作業をはじめ、深夜まで及ぶことも。玖珠や日田、中津エリアを中心に、昼は消毒作業に営業活動、昼夜問わず飛び回る毎日。生活が安定するまでは夜間警備のバイトまでこなしていた。睡眠時間を削りながら、とにかくがむしゃらに働き、目の前の仕事をコツコツと積み重ねていった。

大きなターニングポイントになったのは、とある老舗飲食店のゴキブリ駆除。味は折り紙付きの人気店だったが、実は長年ゴキブリ被害に悩まされていた(昭和の時代は年季の入った木造建築も多く、まだまだ衛生環境の整っていない施設は多かった)。この店もそのひとつ。県外の駆除業者に何度も依頼をしたが、業者もお手上げ状態だったという。そこで、白羽の矢が立ったのが、クチコミでいい仕事をすると評判になっていた「コクエイ」だった。

「夜の営業終了後に駆除用の薬品を店全体撒いた。翌日お店を訪れると、足の踏み場もないぐらいのゴキブリまみれだったのが衝撃的でしたね」と当時を振り返る。

旅館での夜間警備の経験を活かして、旅館街への営業活動を行った。夜間警備中に害虫・害獣の気配を感じたら、日中に駆除の営業に行く。しかし、駆除の必要性を伝えても、「うちにはゴキブリなんていません!(怒)」と門前払い。だが諦めずに続けた地道な営業活動が功を奏し、駆除させてもらえることに。そんな真摯な姿勢と確かな技術が評価されるようになる。噂が噂を呼び、仕事の依頼が爆増。1ヶ月の受注数が100件を超え、売り上げも雪だるま式に増えていった。

コクエイの丁寧で粘り強い仕事ぶりが次第にファンを増やしていく。新規の依頼もたくさん来るようになった。創業から2年ほどは1人で走り続けていたものの、いよいよ人手がたりない。そこで、一念発起して仲間を増やし、事務所を新築することに。しかし、まさかあんな事件が起こるなんてこのときは予想もしていなかったのだった…。

<続く>

Page Top