このWEBサイトはJavaScriptを有効にしないと正しく表示されません。ご了承ください。

平成16(2005)年、現会長の長野晴雄の母の逝去を機に、長男の雄樹は故郷の玖珠に戻ることになった。実の母親を亡くした父の様子を心配し、大阪の就職先を辞め、家業をサポートするためにかけつけた当時20歳の雄樹。その後の7年間、雄樹は特別扱いされることを嫌い、一社員として現場で害虫駆除のノウハウを徹底的に学んでゆく。多くを語り合う親子関係ではないが「父を支えていきたい」という一心で、がむしゃらに働いていた27歳の頃、予期せぬ出来事が起こる。父・晴雄から「60歳になったので、これからはお前に社長を任せる」と、突如告げられたのだ。その2週間後には社長に就任。家業を継ぐ意志はあったものの、あまりにも急な展開に、雄樹は正直、驚きを隠せなかった。

社長に就任した雄樹は決意を固め、持ち前のバイタリティで旧態依然とした会社の改革に乗り出した。しかし、皮肉なことに、その改革は全従業員の退職という不測の事態を招いてしまう。会社の危機…会長である父と雄樹氏、そして後に加わった弟の3人で会社を運営することになったのだ。経営に注力する余裕などなく、ひたすら昼夜を問わず現場で奔走する日々。それは、まるで父が創業した頃にタイムスリップしたかのような状況だった。

そんなある日、雄樹にとって忘れられない出来事が起こる。それは、飲食店への集金でのこと。夜の忙しい時間帯、店内は活気に満ちていた。集金に訪れ、お釣りを店主に渡そうとした際、お札をきちんと揃えておらず、店主の逆鱗に触れ「こんな忙しい時間に来るな!」という厳しい言葉とともに塩をまかれたのだ。あまりの忙しさのなかで、顧客の立場に立ち、細やかな配慮と誠実さを忘れていた。この出来事は今後のサービスポリシーへとつながる強烈な教訓となった。

仕事の厳しさから、何度も辞めたいと思った雄樹だったが、同級生の入社や、弟が大分市の拠点を任されたことを機に、会社は徐々に活気を取り戻してゆく。かつては典型的なブラック企業だったが、働き方改革に本格的に着手。夜間労働の削減や、従業員の労働環境改善に真剣に取り組んだ。その結果、口コミで評判が広がり、人材が徐々に集まり始めたのである。また、かつては個人宅からの依頼が中心だったが、清掃会社との提携や、法人からの依頼が増加。単なる害虫駆除業者から、総合的な衛生管理パートナーへと成長していった。

令和元(2020)年、世の中がコロナ禍で揺れるなか、お店やホテルが軒並み営業停止となり、一時期は売上は3割減に。しかし、そのような状況下でも、顧客からの依頼に応じ、コロナ禍においては大分県内では唯一の消毒サービスを提供し続けた。「国の衛生環境を守る」という理念を今一度振り返り、どんな状況下でも地域の衛生環境を守るという社会的使命を果たした。

あっという間の50年。数々の困難を乗り越えながらも、常に”成長”を意識しながら歩んできたコクエイ消毒。害虫駆除業界は、依然として厳しい労働環境に苦しむ企業も少なくない。だからこそ、業界全体のイメージを変えたいと考えている。長年の課題である労働環境の改善はもちろんのこと、「子どもたちの憧れの職業ランキングトップ10」入りを目指すという目標を掲げる。また、薬剤に頼らない安全な駆除方法にも取り組んでいる。薬剤使用における最大の課題は、作業者と周辺住民の健康リスクである。「強力な化学物質の使用を最小限に抑え、より安全で持続可能な駆除方法の開発に注力していきたい」と雄樹は語る。将来的には九州全域への事業拡大や、発展途上国の技術者養成のためのスクール設立も視野に入れている。

地域に根ざした企業として、高齢者の見守り、空き家対策、そして地域の困りごと全般を支援していきたい。害虫駆除・防除業に加えて、地域の安全・衛生を総合的にサポートする”町のレスキュー隊”へと進化していくこと。それが、コクエイ消毒が描く、100年に向けての揺るぎないビジョンだ。

●Episode1を読む
●Episode2を読む

Page Top