Episode2 仕事も人生も、山あり谷あり
創業からたったひとりで走り続け、ようやく事業が軌道に乗り始めた昭和53(1978)年ごろ、従業員の増員と事務所を新設、法人化を考えるようになった晴雄。
ある日、玖珠町の恵良にある農機具販売会社で機材を見ていると、「お前に会わせたい人がいるから、酒を買って行ってこい」と言われ、わけも分からず作業着のまま会いにいくことに。そうして出会ったのが今の妻だ。本人よりも父親に気に入られ、あれよあれよという間に、出会いから4ヶ月で結婚した。
昭和58(1983)年2月「コクエイ消毒有限会社」として法人化。晴雄の弟を従業員として雇い入れ、自動車整備会社勤務時の同僚をコクエイの仲間として呼び寄せるなど、従業員が増えてゆく。
ちょうどその頃、現社長である長男の雄樹が誕生。幼少期の雄樹は、父の営業車に同乗し、福岡県中洲の繁華街の現場に同行。母親と2人でワゴン車の中で遊んだり、布団を敷いて寝たりしていたと今では考えられない家族との記憶を思い返す。
そこからは飛ぶ鳥を落とす勢いで事業を広げていった。弟には、日田、玖珠、中津エリアを任せ、晴雄は大分市、別府市を中心に、クライアントを増やしていった。また、立ち上げ当初から取り組みたいと考えていたシロアリ駆除事業を見据え、長年興味があったシロアリ駆除の事業をスタートさせ、「日本しろあり対策協会」に入会した。仕事は順調、子どもも生まれ、順風満帆な毎日が続いていた。
その矢先、コクエイ本社に思わぬ災難が。事務所に泥棒が入ったのだ。なんと2回も!金庫をこじ開けられ、売上金を盗まれた。警察と一緒に犯人を追ったものの、結局捕まらずじまい。害虫は駆除できたが泥棒は駆除できなかった。そんなこともあり、事務所を建て替え、防犯面を強化。
この頃から、害虫駆除だけでなく、有害生物の防除にも力を入れる「ペストコントロール」を意識するように。昭和63(1988)年に日本ペストコントロール協会に入会。長年の実績が評判になり、多くの人とのつながりが生まれ、大分市内のホテルや有名カフェ、別府の商業施設など、大きな施設の駆除・防除の仕事を受けるようになった。
平成10(1998)年、機転となる出来事が起こる。妻の父親がオオスズメバチに刺されて亡くなった。当時から全国的にスズメバチ被害が拡大していたことから、義父の敵討ちさながら、防護服を購入し、本格的に勉強してスズメバチ駆除の事業も立ち上げることになった。これまでの歩みを振り返ってみると、新たなチャレンジの原動力になっているのは身近な人の快適な暮らしと幸せだ。困っている人にそっと手を差し伸べる、まさに縁の下の力持ち的な存在といえる。ネズミ駆除にはじまり、ゴキブリ、シロアリ、スズメバチなど、害虫駆除・防除の幅が飛躍的に広がり、従業員も増えてきた。仕事に対して大きなやりがいを感じるようになってきた。
仕事に対してモチベーションが向上し続けていた平成16(2005)年、晴雄の母が亡くなった。すっかり落ち込んでしまい、何をするにもやる気が出ない日々が続く。心配した妻が、当時、大阪にある大手消毒会社で働いていた長男雄樹に玖珠に戻ってほしい旨を打診した。父が心配だった息子は、一念発起して、地元に戻り父の跡を継ぐことを決意。ここからコクエイの新章が始まる。
<続く>
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